土御門 晴親(つちみかど はれちか)は、江戸時代後期の公卿・陰陽師。治部卿・土御門泰栄の子。官位は正二位・非参議・陰陽頭。家禄は183石6斗。
経歴
天明7年12月8日(1788年1月15日)(寛政元年12月8日(1790年1月22日)とも)、土御門泰栄と家女房・静心院との間に二男として誕生。寛政10年(1798年)叙従五位下。その翌年に元服、右兵衛権佐に任ぜられる。享和2年(1802年)叙従五位上。文化元年(1805年)に陰陽頭に任ぜられる。文政3年(1820年)12月21日叙従三位。天保13年(1842年)に陰陽頭を辞任。同日、叙正二位。
同年6月28日(1842年8月4日)57歳で薨去(同年6月16日(1842年7月23日)54歳で薨去とも)。法号は恭謙院殿正二位安倍朝臣晴親卿。墓所は京都市下京区梅小路梅林寺。
柴田鳩翁に入門して心学を深く修行し、一時は明倫舎にも在住していた。
系譜
- 父:土御門泰栄 - 従三位・治部卿
- 母:静心院(家女房)
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:土御門晴雄
- 四女:土御門藤子




