徳大寺 忻子(とくだいじ きんし、弘安6年(1283年)- 観応3年/正平7年2月1日(1352年2月16日))は、後二条天皇の中宮。太政大臣徳大寺公孝の長女で、母は藤原喜子(内大臣三条公親女)。異母弟に徳大寺実孝がいる。女院号は長楽門院(ちょうらくもんいん)。
生涯
正安4年(1302年)、2歳年下の後二条天皇の女御として入内。嘉元元年9月24日(1303年11月4日)、中宮に冊立された。しかし、天皇との間に子供はなかった。徳治3年8月25日(1308年9月10日)の後二条天皇崩御の直後に出家して、法名を真実覚とした。延慶3年12月19日(1311年1月9日)、女院号宣下を受けて長楽門院と号する。
観応3年/正平7年(1352年)、70歳で崩御。




