アールパード朝(ハンガリー語: Árpád-ház)は、ハンガリー王国の最初の王朝。9世紀末にマジャル人を率いてパンノニア平原に定住させた大首長(ジュラ)アールパードを祖とする。11世紀初めにハンガリー王国を成立させ、14世紀初頭に断絶するまで約300年続いた。12世紀末から13世紀初頭にかけては、ハールィチ・ヴォルィーニ王国の王(ガリツィアおよびロドメリアの王)やハールィチ公国の公も出している。
歴史
歴代君主
ハンガリー大公
- アールモシュ(855年頃 - 895年頃)
- アールパード(895年頃 - 907年頃)
- ジョルト(907年頃 - 947年頃)
- ファリチ(947年頃)
- タクショニュ(947年頃 - 972年頃)
- ゲーザ(972年頃 - 997年)
アールパードの孫に当たるタクショニュ以前、大公の座を継承するのは、「アールパードの血を引く最年長の男子」とされていたが、キリスト教への改宗と共に、先代の長男が継ぐこととなった。そのため、アールパードとタクショニュの間の大公は明白ではなく、特にアールパードの末子でタクショニュの父に当たるジョルトの在位は、キリスト教化を経てからの後付けとも考えられている。
ハンガリー王
- イシュトヴァーン1世(聖王、997年 - 1038年)
- ペーテル(1038年 - 1041年)
- シャームエル(1041年 - 1044年)
- ペーテル(復位、1044年 - 1046年)
- アンドラーシュ(エンドレ)1世(1046年 - 1060年)
- ベーラ1世(1060年 - 1063年)
- シャラモン(1063年 - 1074年)
- ゲーザ1世(1074年 - 1077年)
- ラースロー1世(聖王、1077年 - 1095年)
- カールマーン(文人王、1095年 - 1116年)
- イシュトヴァーン2世(1116年 - 1131年)
- ベーラ2世(盲目王、1131年 - 1141年)
- ゲーザ2世(1141年 - 1162年)
- イシュトヴァーン3世(1162年 - 1172年)
- ラースロー2世(対立王、1162年 - 1163年)
- イシュトヴァーン4世(対立王、1162年 - 1165年)
- ベーラ3世(1172年 - 1196年)
- イムレ(1196年 - 1204年)
- ラースロー3世(1204年 - 1205年)
- アンドラーシュ(エンドレ)2世(1205年 - 1235年)
- ベーラ4世(1235年 - 1270年)
- イシュトヴァーン5世(1270年 - 1272年)
- ラースロー4世(1272年 - 1290年)
- アンドラーシュ(エンドレ)3世(1290年 - 1301年)
ハールィチ・ヴォルィーニ王
- アンドラーシュ2世(1189年 - 1190年)
- カールマーン(1215年 - 1221年)
- アンドラーシュ3世(1228年 - 1234年)
ハールィチ公
- カールマーン2世(1214年 - 1219年)
- アンドラーシュ3世(1228年 - 1230年、1232年 - 1233年)
系図
数字は即位順。
脚注
参考文献
関連項目
- ハンガリー国王一覧
- 聖イシュトヴァーンの王冠
- ハンガリー・アンジュー朝



