細川 左馬助(ほそかわ さまのすけ)は、戦国時代の武将。
概要
天文15年(1546年)9月13日に兄の細川国慶と共に入京したとされ、翌年正月には龍安寺を訪れ酒を振る舞われている。
京都を巡る細川晴元方との戦闘において、国慶の側近として兵粮米を徴収するための「折紙」を発給していた。
天文16年(1547年)10月5日には、京都を占領していた晴元方の城であった桂川沿いの河島城を攻め、6日には西京の大将軍まで攻め上ったものの、その日のうちに国慶とともに戦死した。
国慶の弟には、彼の挙兵に与同して浪人となった僧泉坊という人物がいたが、これが還俗して左馬助を名乗った可能性がある。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 馬部隆弘『戦国期細川権力の研究』吉川弘文館、2018年。ISBN 978-4-642-02950-6。
- 第三部第三章 「細川国慶の出自と同族関係」(初出:『史敏』通巻9号〈2011年〉)572-592頁。
関連項目
- 畿内・近国の戦国時代
- 細川政権




