レナード・アンソニー・ハリス(Leonard Anthony Harris, 1964年10月28日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
現役時代はナ・リーグ一筋8球団でプレーしており、代打での通算安打212本のMLB記録保持者である。
経歴
プロ入りとレッズ時代
1983年6月6日のMLBドラフトでシンシナティ・レッズから5巡目(全体108位)指名を受け、2日後の6月8日、正式に選手契約を結んだ。その後はマイナーリーグで経験を積んで、プロ6年目となる1988年に、レッズでメジャーデビューを果たした。対戦相手はサンディエゴ・パドレスで、ハリスは代走としての試合出場だった。1988年は、43打数という限られたチャンスの中で16安打を放ち、.372という高い打率を記録した。1988年に、シュアなバッティングを見せたため、メジャー2年目の1989年は開幕からレギュラー格の選手として試合に出場。しかし、61試合で打率.223と振るわなかった。
ドジャース時代
1989年6月18日にティム・リアリー、マリアーノ・ダンカンとのトレードで、カル・ダニエルズと共にロサンゼルス・ドジャースで移籍した。移籍後も、54試合で.252と平凡な数字に終わった。しかし、開幕からドジャースで試合に出場できた1990年は、打数が400を越え、.300台の打率をマーク。巧打者として、まずまずの働きを見せた。その後1992年まではまずまずの数字を残していたが、1993年になって成績が急落。FAとなる年に結果を残せなかった。10月8日にFAとなった。
レッズ復帰
1993年12月1日に古巣のレッズと契約を結んだ。復帰1年目となった1994年はストライキのあったシーズン。それも影響してか66試合の出場に留まったが、打率は再び.300台に乗った。だが、翌1995年は再び不振に陥り、.200前半の打率しか残せなかった。1996年は準レギュラーと呼べる程度に試合に出場。まずまずの働きを見せたが、打率が.300台に戻る事はなかった。シーズンオフの10月31日にFAとなり、同年の11月13日にレッズと再契約を結んだ。1997年、1998年もまずまずの働きを見せていた。
メッツ時代
1998年7月3日にジョン・フーデックとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した。メッツでは、打率こそ低調だったものの75試合で6本塁打を放ち、パワーをアピールした。同年の10月31日にFAとなった。
ロッキーズ時代
1998年11月9日にコロラド・ロッキーズと契約を結んだ。1999年はロッキーズで.300に迫る打率を記録した。
ダイヤモンドバックス時代
1999年8月31日にマイナーリーガーのベルバーニ・マルティネスとトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。ダイヤモンドバックス移籍後は、29打数11安打で.379という打率をマーク。シーズントータルの打率を.300に乗せた。2000年も引き続き、ダイヤモンドバックスで開幕を迎えたハリスだったが、36試合で打率.188と極度の不振に陥った。
メッツ復帰
2000年7月2日にビル・パルシファーとのトレードでメッツに復帰。自身2度目となったメッツでのシーズンは、76試合に出場して.300台の打率を維持した。3年連続でのシーズン中トレードから解放されたハリスは、2001年をメッツで過ごしたが、打率.222と期待に応える事は出来なかった。また、この年にそれまでマニー・モタ(元ドジャース他)が記録していた代打での通算安打数を更新した。
ブルワーズ時代
2002年は開幕前に猛烈なトレード劇に巻き込まれた。
- トレードの内約:1月21日に実施。メッツがグレンドン・ラッシュをミルウォーキー・ブルワーズに放出。メッツがベニー・アグバヤニとトッド・ジール+金銭をロッキーズに放出。ロッキーズがクレイグ・ハウスとロス・グロードをメッツに放出。ロッキーズがアレックス・オチョアをブルワーズに放出。ブルワーズがジェフ・ダミーコとジェロミー・バーニッツ、ルー・コーリアー、マーク・スウィーニー+金銭をメッツに放出。なおこのトレードには日本に馴染みの深い選手であるベニー・アグバヤニ(千葉ロッテマリーンズ)と、アレックス・オチョア(元中日ドラゴンズ)が絡んでいた。
この大型トレードでラッシュと共にブルワーズへと移籍したハリスは、122試合に出場して.305という打率をマーク。打数こそ200に届かなかったものの、ベテラン内野手として渋い働きを見せた。シーズンオフの10月28日にFAとなった。
カブス時代
2003年1月27日にシカゴ・カブスと契約した。しかし、極度の不振に陥ってしまい、8月2日にカブスを解雇されてしまった。
マーリンズ時代
カブス解雇後に救いの手を差し伸べたのはフロリダ・マーリンズだった。8月11日に再びメジャーへの切符を手にしたハリスだったが、出場機会も極小に留まり、結果を残す事ができなかった。11月5日にFAとなったハリスは、2004年1月2日にマーリンズと再契約を結んだ。しかし、結果を残す事が出来ず、年齢的にも限界の近づいて来たハリスは、10月27日にFAに。いよいよ終わりの時かと思われたが、12月7日にマーリンズと再々契約を結ぶ事が出来た。2005年、不惑を迎えたハリスは、少ない出場機会で.300を越える打率をマーク。しかし、2006年3月29日にマーリンズを解雇された。
引退後
2007年途中から2008年までワシントン・ナショナルズで打撃コーチを務め、その後はマーリンズ傘下やドジャース傘下のマイナーでコーチを歴任。2015年よりマーリンズの打撃コーチ補佐を務める。シーズン途中の5月にブレット・バトラーに代わり、三塁コーチに配置転換され、翌2016年まで務めた。
プレースタイル
打者としてのタイプは、三振の少ない巧打者タイプ。出場試合数及び打数にバラつきがあるとはいえ、.300を超える打率を6度マークしたことがある。しかし、パワーはなく、1シーズンでの最多本塁打は6本が最高である。足の速さは、平均以上。若かった頃には何度となく二桁盗塁を記録している。守備では、現役時代は三塁手、二塁手を始め、外野守備に就く機会も多かった。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 56 (1988年)
- 7 (1989年 - 同年途中)
- 29 (1989年途中 - 1993年、1999年途中 - 2000年途中、2003年 - 同年途中、2015年途中 - 2016年)
- 28 (1994年 - 1998年途中、1999年 - 同年途中)
- 19 (1998年途中 - 同年終了、2000年途中 - 2001年)
- 16 (2002年)
- 10 (2003年途中 - 2005年)
- 9 (2007年 - 2008年)
- 49 (2015年 - 同年途中)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 H
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)



