鶴澤 鶴太郎(つるさわ つるたろう)は、義太夫節三味線方の名跡。

初代

初代鶴澤鶴太郎 ⇒ 二代目鶴澤叶

二代目鶴澤叶参照

二代目

鶴澤鶴五郎 ⇒ 二代目鶴澤鶴太郎

二代目鶴澤叶の門弟。本名田中卯三郎。通称黒鶴。安政5年(1858年)生まれ。

慶応3年(1867年)2月稲荷社内東芝居『木下蔭狭間合戦』で初出座。師匠二代目叶は父六代目染太夫の「竹中砦の段 切」を太夫付で引いている。

以降も稲荷境内の文楽の芝居に師に従い出座。明治6年(1873年)4月松島文楽座で鶴五郎改二代目鶴澤鶴太郎を襲名。

『義太夫年表明治篇』は「鶴五郎改メ鶴澤徳太郎」とするが、鶴太郎の誤りである。

明治19年(1886年)5月御霊文楽座が最後の舞台となり、同年8月29日没。享年29歳。戒名一雲院鶴遊信士。墓所は大阪市北区東寺町宝珠院。

師二代目叶よりも早い死を迎えた。養子にして門弟に三代目鶴澤清六(三代目鶴太郎・三代目叶)。

三代目

初代鶴澤福太郎 ⇒ 三代目鶴澤鶴太郎 ⇒ 三代目鶴澤叶 ⇒ 三代目鶴澤清六

三代目鶴澤清六参照

四代目

二代目鶴澤鶴五郎 ⇒ 四代目鶴澤鶴太郎 ⇒ 四代目鶴澤叶 ⇒ 二代目鶴澤清八

二代目鶴澤清八参照

五代目

二代目鶴澤福太郎 ⇒ 五代目鶴澤鶴太郎

本名:田中永太郎。明治43年(1910年)2月28日生まれ。三代目鶴澤清六の長男。

父三代目清六が大正11年(1922年)1月19日に没したため、同年、六代目鶴澤友治郎に入門し、父の本名にして幼名の福太郎を二代目として名乗る。

大正12年(1923年)2月御霊文楽座『伊賀越道行双六』「沼津里の段」で師六代目友治郎が津太夫を弾き、その胡弓を勤めている。しかし、番付の三味線欄に福太郎の名はない。

大正13年(1924年)新京極文楽座『伽羅先代萩』「堤伐の段」で琴を弾いている。大正15年(1926年)3月御霊文楽座の番付より三味線欄に鶴澤福太郎が確認できる。

昭和改元後も、若手会では役が付くものの、本公演ではツレ弾きや胡弓や琴での出演が多い。昭和9年(1934年)3月四ツ橋文楽座にて二代目福太郎改五代目鶴澤鶴太郎を襲名。近松門左衛門作『曽我五人兄弟』「大磯酒宴の段」の2枚目を弾いた。シンは師匠六代目友治郎。3枚目が父三代目清六の門弟四代目叶(二代目清八)、4枚目が義兄芳之助(五代目弥三郎)と一家一門による襲名披露となった。『義太夫年表昭和篇』で確認できる最後の出座は、昭和11年(1936年)9月四ツ橋文楽座『関取千両幟』「猪名川内の段」の胡弓。以降の出座や没年等は不詳。昭和45年(1970年)刊行の『義太夫年表大正篇』の人物索引の解説には「既に歿」とある。

脚注


鶴太郎さんヨガの境地に至る! 写真で一言ボケて(bokete) ボケて

鶴太郎さんの作品と言えば、見ていて心がスッキリする、大胆な筆使いの書作品を思い浮かべる方も多いかと思います。

【プロレス字幕】ジャンボ鶴田 三沢戦後インタビュー【滑舌問題なし】 YouTube

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