剣持 章行(けんもち あきゆき、旧字体:劍持章行、1790年12月8日(寛政2年11月3日)- 1871年7月27日(明治4年6月10日))は日本の数学者、和算家。諱は章行。字は成紀。号は豫山または任数堂。通称は要七。後半生は関東各地を遊歴し、香取、海上、印旛、匝瑳、常陸、武州等を中心に、約1000人の門弟を持った。

経歴

上野国吾妻郡沢渡(現在の群馬県中之条町)に生まれ、本業は農業。幼いころから数学を好んだ。小野榮重に師事し、1824年(文政7年)には「小野栄重門人 上毛吾妻郡澤渡邑 剣持要七郎章行」として清水寺(高崎市石原町)観音堂に算額を奉納している。1827年(文政10年)栄重から免許皆伝を与えられた。同学の川北朝隣とともに関流七伝を称された。妻を持ったが意を決して離別したとも死別したともいう。その後、江戸に出て、日下誠、内田恭などに学んだ。1839年(天保10年)ごろより遊歴を行った。1840年(天保11年)、内田恭に就いた間、『探賾算法』を書した。1859年(嘉永7年)5月、佐倉藩の数学所に呼ばれ講習を行い、測量術を稽古した。

1871年(明治4年)に下総国香取郡(古城村)鏑木の門弟の山崎平右衞門(山崎青渓)の家にて、病死した。享年82。戒名は「剣善要説居士」。両総地方にも門下が多かったという。1933年(昭和8年)4月、古城村に石碑が建立された。千葉県旭市鏑木の墓所は旭市指定史跡(1972年4月26日指定)となっている。

数学

数学、和算における功績では、主に『探賾算法』の著作がある。この書籍の中で、デカルトの円定理や剣持点に関する研究が行われている。

弟子

出典:

著書

  • 1840年(天保11年)、『探賾算法』
  • 1849年(嘉永2年)、『算法開蘊』
  • 1853年(嘉永6年)、『量地圓起方成』
  • 1855年(安政2年)、『量地円起方成後編』
  • 1856年(安政3年)、『検表相場寄算』
  • 1857年(安政4年)、『算法利息全書』
  • 1862年(文久2年)、『算法約術新編』(下:NDLJP:829193)
  • 『改略暦法』『改略暦法起』

出典

参考文献

  • 三上義夫『日本測量術史の研究』恒星社厚生閣、1947年。NDLJP:1058578。 
  • 『群馬県吾妻郡誌 追録』群馬県吾妻教育会、1936年。NDLJP:1173224。 
  • 道脇, 義正『和算家の生涯と業績』多賀出版株式会社、1985年7月10日。doi:10.11501/12608009。ISBN 4-8115-8128-8。 (要登録)
  • 小林龍彦『剣持章行の「角術捷徑」について』数理解析研究所講究録。ISSN 1880-2818。 

外部リンク

  • 『剣持章行』 - コトバンク
  • 『探賾算法』 - コトバンク

剣持 ibisPaint

CHIBA

彩虹社 にじさんじ 劍持刀也 剣持刀也 短文集《虚空教典》【東京卡通漫畫專賣店】 蝦皮購物

【MAD】剣持の剣振り 「levanPolkka」 YouTube

剣持 章生 JAPAN DESIGNERS