紀元前383年(きげんぜん383ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「ポプリコラ、カピトリヌス、ルフス、フラウウス、マメルキヌス、トレボニウスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元371年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前383年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

  • 干支 : 戊戌
  • 日本
    • 皇紀278年
    • 孝安天皇10年
  • 中国
    • 周 - 安王19年
    • 秦 - 献公2年
    • 晋 - 孝公6年
    • 楚 - 悼王19年
    • 斉 - 康公22年
    • 田斉 - 斉侯剡2年
    • 燕 - 簡公32年
    • 趙 - 敬侯4年
    • 魏 - 武侯13年
    • 韓 - 文侯4年
  • 朝鮮
    • 檀紀1951年
  • ベトナム :
  • 仏滅紀元 : 162年
  • ユダヤ暦 :

できごと

ギリシア

  • マケドニア王アミュンタス3世がカルキディア同盟 (Chalkidian League) と一時的な連合を結んだ。ギリシアを群雄割拠のままにしておきたいスパルタは、遠征軍を北へ派遣し、マケドニアの東に位置する、カルキディケー半島(現在のハルキディキ県周辺)の諸都市の連邦国家であった、カルキディア同盟に介入した。
  • スパルタの指揮官ポイビダスは、進軍のためにボイオーティアを通りかかったところで、テーバイの内紛に乗じて軍勢とともに市内に入った。ひとたび市内に入ると、スパルタ勢はテーバイの城塞であるカドメア (Cadmea) を占拠し、反スパルタ派の市民を町から追い出した。テーバイの政権は、親スパルタ派が握り、カドメアを拠点としたスパルタ守備隊がこれを背後で支えた。テーバイの指導者だった者たちの多くが、亡命に追い込まれた。エパメイノンダスは、反スパルタ派と繋がっていたものの、追放は免れた。

中国

  • 魏が趙軍を兔台で破った。

天文学

  • バビロニア暦に、19年の月周期(メトン周期)が導入された。

宗教

  • シシュナーガ朝カーラーショーカ王の呼びかけにより、毘舎離(現在のインド東部ビハール州ヴァイシャーリー県)で、第2回の「三蔵の結集」(Second Buddhist council) が行なわれた。この結集は、根本分裂の契機となった。(年代には異説がある)

誕生

死去

  • 魯の穆公

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 年の一覧
  • 年表
  • 年表一覧

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