沈 嗣良(しん しりょう )は中華民国のスポーツ教育者。

事跡

上海聖ヨハネ大学を卒業後にアメリカに留学する。最初はオベリン大学で学び、後にコロンビア大学へ進学して教育管理を学び、修士号を取得した。1923年(民国12年)に帰国し、聖ヨハネ大学で教務長兼体育部主任を務めている。また、中華全国体育協進会総幹事にもなった。

1925年(民国14年)、フィリピンで開催された第7回極東選手権大会に中国代表団を率いて参加した。また、同年から1927年まで、極東体育協会(Far Eastern Athletic Association)の名誉幹事(honorary secretary)を務めている。1927年(民国16年)、張伯苓らと協力して、第8回極東選手権大会を上海に招致している。1936年(民国25年)、中国代表団監督としてベルリンオリンピックに参加した。

その後、上海に当時国内最大規模だった江湾体育場の建設を提唱・主導している。日中戦争期間中には、聖ヨハネ大学学長も務めた。戦後はアメリカに移住し、晩年を過ごしている。

1967年、アメリカにて死去。享年72。著書に『中華全国体育協会史略』などがある。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 
  • 東亜問題調査会『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  • Who's Who in China 4th ed.. The China Weekly Review. (1931) 

沈新良

篆刻文玩——西泠印社名家沈继良 知乎

钱江晚报

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沈建良