八木 信雄(やぎ のぶお、1903年(明治36年)4月25日 - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。黄海道知事。全羅南道知事。

経歴

八木彦助の長男として鹿児島県鹿児島市に生まれる。1925年(大正14年)高等試験行政科に合格し、翌年東京帝国大学法学部政治科を卒業する。朝鮮総督府に奉職し、黄海道、慶尚北道各警務課長、警務局勤務、黄海道警務部長、警務局警務課長などを経て、1942年(昭和17年)11月、警務局保安課長に任じた。1944年(昭和19年)12月、黄海道知事に就任し、のち全羅南道知事を務めた。

著作

  • 編著『御親閲拝受記 : 現役将校学校配属令施行拾五周年記念』朝鮮教育会、1940年。

脚注

参考文献

  • 日本官界情報社 編『日本官界名鑑 昭和17年版』日本官界情報社、1942年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271159。 
  • 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230025。 
  • 秦郁彦『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。 

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